幼少期
私は1984年、和歌山県の自然豊かな田舎で生まれました。
周囲には信号もないほどののどかな場所で、
虫やヘビを捕まえて遊ぶなど、自然の中でのびのびと過ごしていました。
祖母のことが大好きで、よく畑仕事について行ったことを今でも鮮明に覚えています。
中学校から高校時代
田舎で育った私は、中学進学の際に「もっと多くの人と関わりたい」と思い、
地元を離れて和歌山県内の中高一貫の進学校に進学しました。
自宅から最寄り駅までは車で約30分。毎日、両親が送り迎えをしてくれました。
長年支えてくれた両親には、今でも深く感謝しています。
大学進路を考えた時期

大学進学は、人生の方向性を決める大きな分岐点です。
高校1〜2年のころは、なかなか進路を定められずにいました。
幼いころ、大好きな祖母が「お医者さんになったらどう?」
とよく言ってくれたことを思い出します。
その言葉が心のどこかに残り、
医師という職業が自然と自分の選択肢のひとつになったと思います。
高校2年から3年にかけて体調を崩し、微熱が続く時期がありました。
病院で血液検査などさまざまな検査を受け、
日頃から下痢が多かったため大腸内視鏡検査も行いましたが、結果は異常なし。
最終的にアレルギー科で治療を受け、処方された薬で少しずつ症状が改善しました。
そのとき担当してくださった年配の先生の、穏やかで温かい対応がとても印象に残っています。
一方で、都会へのあこがれもあり、
東京や京都といった大きな大学への進学にも興味を抱いていました。
しかし、人の役に立てる「医師」という仕事の魅力に、次第に強く惹かれていきました。
こうした経験や出会いが積み重なり、最終的に私は医師を志す道を選びました。
和歌山県立医科大学医学部に合格

医師になると決めたものの、実家からは離れたいという思いがありました。
私の家庭には、個人よりも「家を大切にする」という考え方が根付いており、
地方の長男としての期待もあったのだと思います。
実家から離れた大学で学びたいという思い
を家族に理解してもらうのは簡単ではありませんでした。
父とは何度も意見がぶつかり、「他県に行くなら援助しない」と言われたこともあります。
たしかに地方の長男にはよくある話かもしれません。
進学大学にはひと悶着ありましたが、最終的に、
地元の和歌山県立医科大学医学部を受験し、
合格することができました。
東大や京大などの有名大学になんとなく受験せず、
医師という、懸命に仕事をするだけでみなさんに感謝していただける
大変やりがいのある道を選択してよかったと思っています。